この本を読む人が、
必ずしもオレを知っているわけではない。
突然、オレはベルンからマドリッドまでを、
3ケ月かけて歩いた。
などといっても、
何故、Way ? por que ? なぜ?となるのではないだろうか。
ジツは、自分でもこの Way ? に、
整然とした答えが見出せないでいる。
どこから書いたらいいか、
その結論が出せぬまま、かなりの日を過ごした。
人間の行動というものは、元来衝動的なものが多く、
それが計画的なものであったとしても、
それを行おうとした動機というものは、
ほんのチョットしたキッカケのような気がする。
それが、ちょっとしたはずみで口を滑らせた言葉であったり、
反射的な発言であったり、
それを意地になって通してみたり、
回りの期待を感じてみたり、
そしてそれを、自分の中で正当化するため、
正義を見つけてみたりする。
だいたい正義なんてものは、
他人からしたら迷惑以外のなにものでもなく、
自分勝手の極地といっていい。
しかし人はこの正義という言葉に弱く、
正義の名の下に、数多くの失敗を演じてきた。
正義なんてものは、
その時代のその状況にだけ通用するものである。
少なくとも、
まだまだ未熟なわれわれ人類の捻出した正義などというものは。
いきなり話がそれた。
まぁ、オレにとってのキッカケは、口を滑らせたことにあるね。
そのシチュエイションとしては、
5人ほどで、半年間のオーストラリアの旅から帰ってきた
NTの土産話を世界地図を眺めながら聞いていたといった状況。
ヨーロッパを見ていたオレは、
ふと「これなら歩けそうだな」と言ってしまっていた。
オレは北海道――京都を50日、
東京――長崎を40日で歩いたことがあったんで、
日本がチッョト広がった程度(距離が)に見えて、
3ケ月もあれば歩けるだろう、と考えていた。
オレにとって歩けるというのは、
寝袋だけで寝られる季節をさし、
東海地方であれば4月下旬から9月ぐらいまでであり、
その範囲に国境などない。
要するに5ヶ月ぐらいで歩ける距離であり、
3ケ月といえばちょうどいい(?)距離なのだ。
当初、オレはモスクワ――マドリッド間を考えていたが、
詳細な地図でたどってみると、
とても5ヶ月ではムリだということを悟らされた。
そして、東ヨーロッパはうるさい(ビザの申請等)
ということなので、
西ドイツの東端のハンブルグから始めようと決めた。
その後ベルリンの壁が崩壊したんで
ベルリンからということにした。
マドリッドに着いたら
半年ぐらいはスペインをブラブラしようと思い、
1ヶ月10万、ザッと1年で120万を予定し、
2年後の春出発、とした。
このころのオレはスペイン語に興味があった。
語学的な理由ではなく、
スペイン語を教えている知人がいたためである。
そして習い始めた。
オレはもともと英語の発音に興味があり、
それを知っていたH先生は、
「スペイン語を習いたい」
というオレの発言に、
「ウソだろ」
喜びの中にも当惑は隠せなかった。
マドリッドが執着地であることが揺るがなかった理由は、
このあたりにありそうである。
飛行機が怖いオレは船で中国に渡り、
シベリア鉄道でベルリンまで行くことにした。
ベルリンまでは、
上海・北京・モスクワと、
出迎え付きの至れり尽くせり完全受身型のコースを選んだ。
あくまでもオレの旅はベルリン――マドリッド間にある。
ソ連に用はないが、
列車の乗り換えは一泊しなければならない、
というソ連特有のルールがあった。
そのためベルリンへの乗換えでモスクワ、
そして上海・北京でも、
旅行会社の都合でいずれかに一泊しなければならない。
そしてそのホテル(オレの場合上海)で
シベリア鉄道の切符を手にすることになっている。
オレは死を覚悟した。
いや、覚悟などという現実性はなく、
死ぬかもしれない、という思いを漠然と持った。
そして、オレは盛大な送別会を催すことを提案した。
NH・NT・SA・KKがスタッフとなり、
送られる本人が企画するという、
まことに奇妙な送別会が
1991年4月13日、
豊橋市街・豊川河岸・伊良湖岬と場所を移して
行われる運びとなった。
一次会の居酒屋【いろり】には
バカを送る70人のバカが集まった。
10時で終わり二次会の豊川河岸
(オレたちの間では吉田城裏と呼ばれている)での
KKコンサートの12時まではフリータイムの予定であったが、
店の好意で閉店まで盛り上がらせてもらった。
途中から来る者、顔だけ見せる者、途中で帰る者、
最後まで残ったのは30人程度であろうか。
この間、NT・SA両君は白いトレーナーを着、
何色ものマジックを持って
みんなにメッセージを書いてもらっている。
二次会である河原に向かうころには小雨が降りだし、
コンサートは強行されたものの、耐え切れず、
豊橋美術館(歩いて3分)の軒下に場所を移した。
そしてコンサートのような宴会のような
わけのわからない時が流れた。
この間、仮眠をとっている者もある。
三次会へ向かうために
運転手に指名されてしまっているMさんである。
そして夜明けごろ伊良湖へ着くと、
みんなは一時間ほど、車の中でまどろんでいる。
このころは10人ほどになっていた。
三次会では浜で飯盒炊飯ということになっといたのだか、
ハプニング、というより、大ボケがある。
とん汁の具、鍋の係りはKKである。
これは問題ない。
飯盒・米の係りが米を忘れてきたのだ。
その係りは、オレだ。
二次会で合流したKK・SDが持ってきた
ビールなら何本でもあるのだが、肝心の米がない。
飲もうか、ってなわけにもいかず、
しょうがねえなぁ、
などと言っているところへ、妹が米を持って現れた。
無事米をたくことができ、
なかなか賑やかな朝食となった。
塩がないから、海水でおにぎりをにぎる、
などとSA君ははしゃいでいるが、
水分が多くて、にぎれるものではない。
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