« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月27日 (日)

筆談(と書いてコミュニケーションと読む)

オレの乗る列車の改札が始まり、

無事自分の部屋を探し出した。

同室は、

年齢からして

大じいちゃんとその娘夫婦といった感じで、

オレから見ればおじいちゃんおばあちゃんと

ひいおじいちゃん、といったところである。

オレのベッドは2階だが、

下に腰を下ろして、

溶け込むでもなく

4人で顔を見合わせて座っていた。

車掌が来て

なにかジェスチャーをしているが

オレは分からず、

「オレ、わかんないよ」

といってみると、

分かったのかどうか出ていった。

そしてお茶を3つ持ってきた。

オレの隣りの若いじいちゃんが、

(以後若じいちゃんと呼ぶ)

コイツの分は?

と車掌に聞いてくれていたが、

オレの分はないようだ。

車掌は、オレのわかんないよ。を、

いらないよ。と受け取ったのかもしれない。

もう、覚えていないが、

わからないときは、

横に手を振りながら

「わからない」と、

しかも、笑顔をつけて言っているはずだから

ノーサンキューになって不思議はない。

おばあちゃんは、

オレを憐れに思ったのか

自分の分をオレにくれた。

年寄りの方のじいちゃんは

(以後大じいちゃんと呼ぶ)

湯は足して飲め、

とポットを指して言ってくれた。

中国のお茶というのは、

そういうものなのか、

湯飲みに直接葉が入っている。

お茶をもらったことでもあり、

黙ったままの団欒に少しつきあったが、

そのうちオレは

上のベッドに転がりまどろんだ。

10時過ぎに若じいちゃんが、

コップに歯ブラシらしきものを入れて戻ってきた。

オレとしても歯を磨きたいし、

残った茶葉が気になっていたので、

コップの中の葉はどうしたらいいのか、

と聞いてみた。が、わからない。

そこで永田に借りた『地球の歩き方中国編』から

≪以後『中国の歩き方』等と記す≫

書き写したものを参考に

中国語で書いて質問してみた。

そこから若じいちゃんとの筆談が始まった。

大じいちゃんから

パンフレットをもらっており、

それに本人の写真と

その作品であろう中国画が掲載されている。

このじいちゃんたちは

かなり有名な画家のようだ。

≪というのは、その後、車掌が

 サインを求めている場面にでくわしている≫

若じいちゃんは、

おれたちは絵を書くが

お前は何をやる人だ、

と聞いてきた。

オレにはその文がわからず、

写してきた虎の巻を見せると、

若じいちゃんは

ひとつひとつ読み上げては笑っていた。

オレは≪料理人≫と書いてみたのだがわからず

≪調理人≫と書いてみたり

いろいろ試してみたがわからず、

結局はジェスチャーということになった。

すると若じいちゃんは、

「おぉー、Cook!」

とこきゃあがった。

今思えば、

(英語わかるんだったら・・・)

とも思うんだが、

そのときは通じた喜びだけだった。

寝る前に大じいちゃんは

オレにリンゴとみかんをくれた。

オレが「ありがとう」と言っても

向こうはわかっていないようで、

もう一度、ありがとうと言い、

続いてシェイシェイと言ってみた。

するとわかったようで、

若じいちゃんたちに

「ありがとう」を楽しそうに説明してたなぁ。

2008年1月14日 (月)

本家

日本の体質が

中国の文化を受け入れ続けた産物だと

と、思わされたことが、また続く。

もう、1人になったオレは

代用チケットを改札で見せて、

とにかくホームへ向かいたい。

オレは、

なにしろ時間に終われることが嫌いで、

たとえば待ち合わせ場所へは

他人からすれば感心を通り越して

呆れるほど早く着(い)く。

その場所が長く居られる場所でなければ、

まずその近くまでは移動しておく。

笑い話だが―――

この旅とは違うが、

バンコクから帰るとき、

安いチケットだったので出発が夜中だった。

その日の昼にでも着けばよさそうなものだが、

コトバもできない、

地理もわからない、

ということで前日に

【正確には午前3時発だから前々日か】

空港のある駅まで着っている。

その周辺で泊まるつもりなのだが宿がない。

駅の目の前には立派なホテルがあるのだが、

いかにも高そうである。

それでも10000円ぐらいなら泊まってやろうと

【それまでは約300円の宿に泊まっていた】

勇気を出してフロントで聞いてみると

20000万円ほどだという。

【円に換算してです、以後同じ】

少し歩いてみたんだが

宿らしきものはなく、

どの列車に乗ればいいかもわかったので、

繁華街に帰ろう、

と駅に戻った。

ホームへ向かうオレの背に、

正装したおやじが声をかけてきた。

「安い宿を知っている」

いくらか、と聞けば6000円だという。

「そりゃ高い」

「じゃあ、あのホテルはいくらだと思う?」

と、前のホテルをさす。

「そりゃあそこに較べりゃ安いが、

 オレにとっちゃ高いぜ」

とは言ったものの、

一旦10000円を覚悟したオレにとっては

まんざらでもない。

話をしていると、

どうもタダでホテルまで乗せていく、

と言っているようだ。

あやしいじゃねえか。

そういうあやしさというものを確かめることが、

現地へ行く価値だと思っているオレは、

車に乗ってみた。

ホテルへ着くと6000円を自分に払え、という。

「君にか、なぜ」

「いや、分かった」

とドアーを開け

フロントへ案内した。

オレが6000円を出すと

フロントのねえちゃんはとまどった。

「5000円なのに1000円はチップか」

とでも言っていたのだろうか。

オレは言葉が分からず笑っていると、

感謝したような顔をして6000円を受け取った。

オレは人がいいから、

このことに気づいたのは

ポーターと5階に向かう途中のエレベーターの中である。

このやり取りを見ていたこのポーターが

チップをもらうため

なかなか部屋から出ず、

「オレは金がないのだ」

というオレの言葉を

容易に信じなかったことからも、

この推察に間違いはあるまい。

かなり余談が続いた。

実は、このタクシーの中での会話で、

「出発はいつだ」

「明日の夜中だ」

というやりとりがあった。

おやじに、

「じゃあ、なぜもう1日バンコクにいなかった。

 向こうなら安い宿もあるし、

 そういうところにいたんだろ」

といわれた。

言葉ができれば、

オレは慎重というより極度の心配性(症?)で、

分からない土地では1日の余裕を持って動く、

だいたい帰ろうとしたオレを

引き止めたのはテメエじゃねえか。

といってやりたかったが、

日本語以外は三河弁ぐらいしかできないオレは、

「me too」

といって笑いとばすのが精一杯だった。

上海へ話をもどす。

そういったわけでオレとしては

ホームを確認したかったのだ。

ところが入れてもらえない。

オレの代用チケットを見ると

≪26日17時38分次No.1≫とある。

間違っていないのだ。

ところが彼が指摘したのは有効期限である。

そこには≪22日≫とある。

そして、

「書き換えてもらってこい」

そんなことを言っているのだろう。

CITS事務所へ行き訴えると、

ボールペンで≪26日≫と

上から太く書き直しただけである。

バカにしたもんだ。

と思いつつ、

日本のお役所仕事を思い出しながら

改札で差し出すと、

彼はまだオレがホームへ入ることを許可しない。

時間的に「まだ!」だというのだ。

ムッとしたが、

本家はすげえや。

と思い直した。

2008年1月10日 (木)

ミンさん奮戦記-2-

まず、上海駅で

外国人用の切符売り場の長い列の後ろについた。

順番が来た。

が、

ここでは話にならず、冷たくかわされた。

しかし、その2つ隣にCITSの事務所があり、

そこへ行ってみると、

南京通りの事務所へ行け、となる。

タクシーを飛ばしてその事務所へ行くと、

『11時半から1時半まで昼休み』とある。

近くのレストランへ入りラーメンとギョーザを頼む。

料理がなかなか出てこない。

1時半になる。

そこで、オレたちは荷物を置いてCITSへ向かった。

なぁに、予約してあるチケットを

取りに行くだけのことなのだから。

【ホテルに泊まれなかった、という苦情より、

 シベリア鉄道の切符がないのだ】

ところが、だ。

この事務所の中でも、

あっちこっちと振り回され、

時間は刻々と過ぎていく。

とはいえ、振り回されているのはミンさんで、

オレはといえば、

まったく状況がわからず

呆然とミンさんを見守るだけである。

ミンさんも、

やっと状況がわかり、

オレに説明をしてくれた。

どうも上海までは

オレの件で話が届いていないらしいのだ。

スタッフのいる奥の部屋に入り、

ミンさんが女性スタッフと討論している。

最初はこのおねえちゃんもシブシブであったが、

北京への電話で、

俄然口調が変わった。

ミンさんは、

その電話の内容を同時通訳してくれている。

オレの話は北京で止まっており、

CITS側のミスではあっても、

上海側に落ち度はない。

問い詰めるような口調である。

そして、この日本人が、

上海のホテルで

以後の列車・ホテル(モスクワ)のチケットを受け取る。

ということが明らかになった以上、

真剣にならざるを得まい。

もうここのスタッフは

総がかりで電話をかけまくっている。

北京以降のチケットが用意されていても、

この日本人を北京まで移動させないことには

そのチケットは無駄になる。

しかも厄介なことにコイツ(オレ)は、

融通のきかないソ連へ行くのだ。

ところが北京行きの空がない。

ねえちゃんはもう怒鳴っている。

そんなとき、

向こう側のデスクの兄ちゃんが受話器を持って叫んだ。

チケットが取れた、

と思ったオレにとって、

この後のねえちゃんと向こうの兄ちゃんとの

やり取りほどまどろっこしいものはない。

それは、

どういった経路から切符が取れたかという確認であった。

ミンさんの話ではこうだ。

中国では、

組織力(会社?)ではかなわないものがある。

親戚はもちろん、

知人であるというだけで組織力に勝るらしい。

向こうの兄ちゃんの友人が、

オレの欲しいチケットを融通できる。

ということなのだ。

駅のキップ売り場でも、

知人であれば列に並ばなくて買えるらしい。

オレは、

かなりその列の長さを覚悟していったので、

面食らうことはなかったが、

オレの知っている行列にたとえるのならば、

初詣の豊川稲荷ほどではないが、

名駅(名古屋駅)前の

第一勧業銀行のジャンボ宝くじの

行列ぐらいはある。

かなりの時間を費やして

北京までの代用チケットを

手に入れたオレたちを待っていたものは、

冷めきったギョウザと、

スープをタップリと吸い込んで

膨れ上がってしまったラーメンであった。

それを笑いながら楽しく食べ終えると、

ミンさんはオレを上海駅へ連れて行ってくれた。

上海駅では、

コウさんたちが合流した。

【きのう一緒に騒いだミンさんの友人】

彼らは、一柳君らの航空チケットを買いに、

飛び回ってくれていたらしい。

そして、別れるとき、

「とにかく全部請求すればいいから」

と、

コウさんたちの使ったタクシー代の領収書まで

オレにくれた。

2008年1月 4日 (金)

ミンさん奮戦記-1-

朝食は3人で下の食堂へ降り、

ああでもない、こうでもないと言いながら

肉まんのようなものを食べた。

フロントで料金を払おうとすると

受け取ろうとしない。

オレを連れてきたおっちゃんから電話があったようで、

やっと50元を受け取ってくれた。

オレはタクシーを捜さなければならない。

ミンさんからメモを渡されており、

それを見せればミンさんとの待ち合わせ場所に着ける、

と言うわけだ。

ところが、

そのタクシーがない。

「タクシー、タクシー」

と騒いでいると、

「どうしました」

と日本語で話しかけてきた者がある。

フロントから少し離れたところに

デスクを持った兄ちゃんで、

彼はきのうのおっちゃんよりは日本語ができるようだ。

が、カタコトの域を脱しえない。

どうも、今の時間はタクシーはない。

と言っているようである。

それなら、と郵便局を教えてもらい

切手を買いに行くと、

そこにはタクシーがズラーッと並んでいるではないか。

これは、後でミンさんから聞いた話だか、

オレがタクシータクシーと騒いでいた時間は

タクシーの運ちゃんの朝礼時間であったようだ。

ということは、

中国のタクシーは郵政省管轄なのだろうか、

はたまた郵政部門は

運輸省の中に組み込まれているのだろうか。

そんなことはどうでもいい。

タクシーに乗れたのは10時過ぎである。

それからミンさんとオレは

たらい回しにされるのである。

2008年1月 2日 (水)

トマレナイ-3-

まず外へ出た。

歩いていると公用電話というものを見つけた。

一柳君らは、予定のない2週間ほどの旅で、

「ミンさんに観光案内してもらったら」

というオレの提案に、

「えぇ、まぁ自分たちで冒険(かいたく)してみますよ。

でも、途中で迷子になってみ~んさ~ん

(情けない口調で)なんて電話かけてたりして」

などと言って別れたきりだが、

その役はオレになってしまった。

電話番のおばちゃんが居る。

いくらか?と聞いてもなんとも言わない。

『金』と書くと、

勢いよくうなずくのだが、なんとも言わない。

そのうちほかのおばちゃんも寄ってきて

【このおばちゃんは単なる知人(やじうま)なんじゃないかな】

とにかくかけろ!と言っているようだ。

電話をするとミンさんは家に居た。

【ミンさんの実家は杭州で、ここは上海のおじさんの家】

とにかく浦江飯店に戻れという。

電話を終え、再度いくらだ。と、聞くまでもない。

指を3本立てている。

まさか3元じゃないだろう。

【探せば夕食が食える】

と思い、

角(元の1/10)や分(角の1/10)を見せると、

全部奪われ、2角返ってきた。

外国人用の紙幣のため不思議そうにしていたが、

後から来たおばちゃんが、

「もらっちゃえ、もらっちゃえ」

そんなふうに言ってたようで、

本当のところがいくらで、

いくら取られたかなんてわからなかった、

【自分がいくら持っていたか把握していない】

が、

100元でも価値はある。

と思い直して浦江飯店へ向かった。

これが8時ごろである。

ホテルを出て1時間になる。

上海の街はうるさい。

自転車は多い、2両編成のバスは通る、

そして、あのクラクション。

オレの耳は特別かもしれないが、

上海のクラクションの音は

「アブナイゾ!」じゃなくて

「ヒキコロスゾ!」に聞こえた。

「中村さん!」

浦江飯店へ着き、少しすると、

階上から一柳・岩崎両君が降りてきた。

説明して、

「困っちゃったよ」

【2人の顔を見てホッとしている】

と言っているところへ3人ほどの外国人が近づき、

【本当はオレたちが外国人】

Are you waiting for Min-san ?」

【確かにミンさんと言った】

と、声をかけてきた。

たぶん、到着の遅れる自分の代わりに、

少しでも早くと、

友人を派遣(?)してくれたのだろう。

などと思い込んでいたんだか、

本当のところは

ミンさんの帰国祝いパーティが計画されており、

友人との待ち合わせを

浦江飯店に変更してくれたのだ。

ミンさんは、

東京の歯科大学に留学しているのだが

中国へ帰ったら衣料品工場を造りたいと言っていた。

となると、

彼らはそのスタッフになる人達だ。

と、

オレは勝手に決め付けている。

まず、みんな(一柳・岩崎両君を含む)で

夕食を食べに行った。

一柳君は、

「青島麦酒、気にいっちゃったぁ」

などと、すでにハシャいでいる。

彼は船内で飲んで以来、

青島麦酒の虜になっていた。

それからオラオケに移り、

遅くまで騒いだ。

帰ったのは1時半である。

翌朝、

同室の2人に、

「さっそくいいところへ行って

盛り上がってるのかと思った」

などと言われたものだが、

こっちはそれどころではないのだ。

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

オンライン状態

ブログ:ココログ