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2007年12月

2007年12月29日 (土)

トマレナイ -2-

フロントで【ご自由に】といった感じの地図を拾い、

オレはホテルを出た。

一柳・岩崎両君の泊まる

浦江飯店へ向かうためである。

地図で、いち早く【浦江房覧】を見つけたオレは

丸印で囲み、

それを指しては道行く人に訪ね歩いた。

が、

たどり着くはずもない。

オレの目指すべきは【浦江飯店】なのである。

しかも、CITSのおやじには、

「浦江飯店はかなり安い宿だ」

(オレの泊まるはずだったホテルに較べてということなのだろう)

などと聞かされていたんで、

裏の細道ばかりを探していたのだ。

ラチもあかず、

ネオンを見つけ、

「ヨシッ、この店で電話を借りよう」

そう意気込んだ隣りに【浦江飯店】と光るネオンが見えた。

フロントで聞くと3B-3だという。

3階だろうと上がってみると、

そのフロアーの案内がかわいい娘だったので、

ドアーを見て歩けばわかりそうなものを、

わざわざ聞いてみる。

通じたのか通じないのか

「get out」という。

最初はそれすら聞き取れていない。

階段を指しているので、

上だとか、下だとか言っているものと思い、

下に行って聞いてみると、

どうもフロアーには違いはないようなのだ。

戻って聞いてみるんだが、

どうもこっちの血相がスゴイようで、

すっかり怯えちゃってる。

そんな自分の顔つきに気づいて、

「どうしよう。わかんないよねぇ」

日本語で、

笑いながら言ってみた。

すると向こうも笑い、

しばらくすると、

「フレンド?」と、

聞いてくれたりしてお互いが冷静になった。

そして「get out」は

外出していますってことなんだ。

と、悟った。

オレはこの旅の初日で、

旅のコツをつかんだ。

笑顔は最高のコトバだ、と。

こんなことがあったため、

オレはずうっと、

笑顔と日本語で通した。

努力の嫌いなオレは、

外国語を覚えるなんて、

一番避けたい分野だからね。

そして、今思うに、

笑顔は旅のコツではなく、

人生のコツと言っていいように思われる。

険しい顔して自分の主張をしたところで、

相手は理解しようとは思ってくれない。

たとえ相手が引いたとしても、

それは、理解したのではなく、

恐れであったり、

面倒になっただけのことだから。

しかし、このときのオレは、

旅のコツを知りえた喜びに

浸っているわけにはいかないのだ。

2007年12月24日 (月)

トマレナイ -1-

上海港では、

中国旅行会社(CITS)が迎えに来ている。

ところが、オレの名前はない、という。

ただ、オレのチケットは間違いなく自分の担当だ。

ということで、ホテルまでは車で

【連れて行ってやる】ということになった。

一柳・岩崎両君はこの車にはいない。

車中ほぼ、あのコーチ屋の生徒たちである。

みんな同じところで降りる。

残るのはオレだけである。

「じゃあ、生きてたら日本で会おう」

オレは予約したはずのホテルへ連れていかれた。

CITSのおやじが、

フロントで確認している間に、

オレは、売店に切手を買いに行ったが絵ハガキしかない。

「フロントで買え」

絵ハガキだけを買いフロントに戻ったオレに

CITSのおやじは、

「アナタ、トマレナイ」

と、カタコトの日本語で宣言した。

そして、親切に、か、

実費で泊まることになるので、

ここは高いから隣で泊まれ、という。

そして3人のドミトリーに案内されるわけだが、

そこで見た顔は

「・・・・・・日本で会おう」

と分かれたヤツらであった。

(隣りだったら一緒におろしゃいいじゃねえか)

とも思うのだが、

オレの泊まるはずのホテルは、

超がつきそうな高級ホテルだから、

横付けする必要があったのではないかと思える。

2007年12月16日 (日)

いざ、行かん -3-

中国のビザはガンジン号内でとれるらしい。

エコノミークラスは、

大阪――神戸間のフェリーと変わらない。

壁も仕切りさえもない部屋(といえるのだろうか)に、

中央を空け、

毛布と枕が両端にギッシリと

(30畳に22人)置かれている。

その同室(?)にコーチ屋がいる。

競馬場とかによくいるらしいが、

こいつは金を取るわけではない。

とにかく人をつかまえては中国を教える。

教えることが彼にとっての優越感の充実であり、

教えを聞くシロウトがかわいくてしょうがないのだろう。

多い時は7,8人の生徒が取り囲んでおり、

教えに一喜一憂している。

50時間ほどの旅で、

そのほとんどが同じ飯店に泊まるような話をしていたところを見ると、

イヤな男でもないのであろう。が、

最近のガキは多少嫌な相手にでも平気で媚びるという

オレにはできない芸当を若いうちから身につけているから、

なんとも難しい判断である。

などというのは、

根本的に、

オレがこういうの(軽薄な集団)が嫌いだから、

このコーチ屋をいいヤツだ。と、

認めたくないからだろうな。

オレはそういう妙なグループには入らずに過ごしたが、

4人の友を発掘した。

常に連れだって行動するようなことはしない。

たとえばメシを喰いに行くのに近くに居れば誘う、

といった大人(?)の付き合いである。

渡辺さんは、

それこそ海外旅行のプロで英語のしゃべれる宮大工だ。

一柳・岩崎両君は

かなり日本の中を旅しているようで、

コーチ屋に群がるような軽薄な連中とは違う。

(こう断言してしまうところにオレの気質が覗われる)

オレはカメラを持ってきている。

こういうものを持って旅をする趣味はないが、

送別会の時、

高橋さん≪【シャンク】というお店を

おっかさんとかみさんと3人で仕事を持ったまま始めた人で、

この店はオレたちの連絡場所になっている≫から、

「どうせフィルムなんか取替えれんだろうから、

 終わったらカメラごと送ってくれ」

こんな言葉とともにもらったものである。

このカメラの使い方(それほど機能のついたものでも

技術を要するものでもないがオレは機械オンチなのだ)を、

一柳君に教わりながらカメラのシャッターを押した。

それほど、夜の船が造る波しぶきが、

ゲンソウ的であったわけだが、ゲンゾウすると、

ただ、真っ黒なだけだったらしい。

25日朝、一柳君が、

海の色がだいぶあやしげになってきた。と、

オレに報告してくれた。

大陸に近づいているわけで、

海の色が緑というか黄というか、

そんな色になるようなならないような。

実にあやしげな様子を呈してきた。

この朝の朝食で、

中国人のミンさんと知り合うことになったのだが、

もし、このミンさんに出会わなければ、

オレのこの旅は挫折で終わっていたかもしれない。

いや、

きっと終わっていた。

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